私の歩んできた道(そこから見えたもの)
2018年9月5日
助産師Iです。
鹿児島県助産師会では毎年一回「先輩助産師のお話を聴く会」を開催しており、毎年定年を迎えた助産師が講師になっているようです。今年は私にお声が掛かりました。連絡を頂いた頃、そろそろ自分史を作成したい、断片的に思いだして懐かしく思う事は有っても一連の流れとして、整理したいと思っている頃でした。もう少しもう少しと思っていると、何が起きるかわからないので、まだ頭が正常な今振り返る事が出来て良いかもしれないと思い、数分の電話中で走馬灯の様に色々考えました。
*還暦までの生き方と還暦後の生き方について
*老いるとは??
*自分の命の時間管理は??
*アドバンス助産師への挑戦で思った事(クリップミップレベルⅢ認証制度と出会って)は、助産師免許更新のなかった今までは、知識技術の研鑽が個人にゆだねられたままで、実践能力を示す指標もなかった。今は可視化された熟練した最新の知識や技術が求められている。自分の中では次から次へと計画は練って実行に移していましたが、キャリアパスやポートフォリオを作成しながら、過去をまとめるのでは無く、もっと早い時期にセカンドキャリアのパスを立てても良かったかなぁって思いました。
実は以下に述べます事がこの講師を引き受けた動機になります。
私は夫の転勤で関西、関東、九州と35年の間で8回転居しました。その間もずっとお産の現場で勤務し5000人以上の分娩に立ち合わせて頂きました。20年管理職をしながらスタッフを育て、その間に息子二人も育て、学生も育てながら学んだ事、色々経験させて頂いた事は私の大きな財産になってくれています。色んな場所で人を育てることが私のこの世の使命のようです。
7年前に大阪から薩摩川内にきました。越して来てすぐから性教育とはご縁がはじまり、今は市の検診業務や、小中高校のいのちを育む授業、教職員及び保護者の講演会等担当させて頂いております。神村学園の学生の母性看護学を全て担当しています。
そして柿木病院にも非常勤で勤務させて頂いております。
現場を離れてからの方が忙しい日々です。助産師としての時期、管理職としての時期、ライフワーク実現の時期について整理してみて、年を重ねることは悪くない。
高齢者パワーを信じて 、そこから見えた事を少しでも皆さんにお伝えしたいとパワーポイント作成しました。
私の思うようにならない子育ての経験が私を大きく育ててくれ、私の管理職としてスタッフを育てる力を育ててくれたと思っています。何歳になっても未来が有ります。今自分に出来ることに一生懸命やった事が人生に厚みを加えると信じています。
後輩たちに少しでも参考になる講話作りに必死の毎日です。