仇桜
2017年4月14日
明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは、、、
昨春、
桜の花が咲くころ、花見の宴が賑わうころ、、父(当院の故柿木成也会長先生)が急逝しました。
生前父から、私が小さい頃よく説教されたものです。
『今日の事は今日のうちに済ませなさい!“明日ありと思う心の仇桜”と云うだろう?しまった、昨日やっておけばよかった!!って後悔してしまう事がきっとあるぞ。』
幼少の頃の図画工作、学童の頃は宿題、学生時代は受験勉強、レポート等々、折に触れて尻を叩かれながら厳しく育てられた日々が今では懐かしいです。
昨年の三月末、母の誕生日の日が偶々水曜午後休診日でしたので、厨房スタッフに昼の検食をベースにお弁当をこしらえて貰い、父と母を花見に連れ出すことにしました。当日、桜は未だ五分咲き、しかも生憎の小雨模様、、。見合わせようかと思案も致しましたが、それこそ諺通り“思い立ったら吉日!”と順延せずに強行して甲突川沿いの公園へと出かけました。
結果、最高のコンディションではありませんでしたが親子三代でお弁当をつつきながらのひと時を過ごせ、先ずまず良い思い出となりました。
その翌週の水曜日、桜はほぼ満開の晴天、絶好の花見日和となりました。「今日、父と母を花見に連れて行けば喜ぶかな?」一瞬頭を過ぎりました。その日の午後ももちろん休診、特に仕事も予定もありませんでしたので、その気になれば出かけられます。
が、夜は自院の歓送迎会の宴なども控えておりましたので「先週出かけたばかりだしな、、。まだまだ機会はあるだろう!」とその日の花見は見送りました。
夜は予定通り病院スタッフと見事な夜桜の街での歓送迎会、、盛会でした。
その二日後の未明、、父は急逝しました。
仮通夜・通夜と悲しい夜を重ね、、告別の日、出棺の道筋は甲突川沿いの道を出来るだけ長く走ってもらいました。桜舞い散る中、車は斎場を後にしました。
寂しい別れではありましたが、父が遺してくれた柿木病院、、この温かい居場所をしっかり守っていきたいと思います。
桜の花が咲く頃、、父の教えを少しだけ想いだしながら、、、。
平成二十九年 四月 一周忌に寄せて
院長 K