応援団長 No.2
2024年7月26日
今年の春、次男が高校生になりました。 入学して直ぐに指宿で高校の合宿がありました。
陸上部の顧問の先生が今だに200m鹿児島新記録保持者ということもあり、
その先生の一声で同級生、後輩、教え子たちが集まっていた。これも先生の人柄であろう。
体のケアをする資格を取ってその道に進んだ教え子も準備万端にして合宿入り。
なんと今、次男の高校の陸上部は56名で大所帯。
その顧問の先生に指導を受けたいと県内がら集まっている。
進学校でもあるため、以前は勝って次のステージに進みたいと思う生徒はほぼいなかったらしい。
トップの指導者で部員たちの意識が、変わった。
「みんなでインターハイへ行こう」と……… インターハイ数十年ぶりのことらしい。
合宿では各競技ごとにコーチがつき 本格的な練習が初日から始まった。
なんと言ってもこの学校の生徒たちの雰囲気がとっても良く、爽やかで青春してるんだなーと感じる。
次男は引き続き、短距離100mと110mH 高校生に上がるとハードルの高さが
私の腰の上あたりまで上がり、飛べるのかしら?と首を傾げる私。
次男は 4✖️100mリレーAチームに選出。
3年生を絶対にインターハイへ連れて行くんだと自分のことよりも先輩の気持ちに答えたいと……
青春映画ではありませんか。
しかし、本気でそう思っている。
1日目合宿終了 夜には、生徒の自己紹介や目標を大きな声で発表し、
種目のブロックごとに 動画も作成されて紹介された。 先輩方の顔や個性がわかり楽しかった。
顧問と話す機会があり 今日100mを手動ですが10秒台 が3人出ました。その中に次男もいました。
調子が上がってきてます。 今年はこれまでで1番のベストメンバーで4継(リレー)が走れます。
インターハイも夢ではないんですよ。 顧問の気持ちにも答えたくなる。
今の100m自己ベストは11.03秒 あと一息だとは思っていた。
高校では10秒台を出さないと 戦えない時代になっている。
もちろん中3の全国にいくと…県によっては10秒台を持っていても
全国に行けない選手がいるほどレベルが上がっている。
決勝は全員が10秒台。 高校でのハードな練習は当然だが 中学校までとは比べものにならない。
ハードな練習が故に練習中に 肉離れを起こしてしまう先輩もいた。
自己紹介のとき 「やってしまいました」と笑えないが 笑いをとる先輩。
二日目も通常は午前で終わるところだが
夕方まで丸2日間の合宿は実りのある時間になったように思う。
この合宿の後、初の記録会があった。
ここで次男 100m10秒台で走ってくると確信していた 本人も.顧問も.私も… 応援団長は渾身の応援‼️
最後まで走ったがこの時どうやら 何か起こったようで、
「お母さん、急いで氷2袋買ってきて……」 「やってしまったかも」と……
医務室へ行き応急処置をしていただき、これ病院へ行った方がいいかもですね。
歩ける状態だったので…… 顧問は 軽い筋膜炎かな?今日は走らない方がいいな。
明日は400マイル走るか? 100よりは怪我しにくいからと淡々と話す。
顧問の前では軽いものだと言っていたが……私には、これ肉ったかもと言う。
肉離れ→肉ったと表現する 初めての経験の痛みだったらしく……
肉離れとは思いたくない気持ちが強かったらしい。
顧問はすぐに自分の主治医でもある スポーツ専門外科医へ、電話して、
肉離れでないことを確認するためにもMRIを撮って下さいと伝えた。
結果も顧問へ直接伝わるような関係らしい。くしくも結果は肉離れだった。
この時、世間は、GWだった。 あまりの痛さにいつもの鍼灸師の方へ内容を伝えると、
休みにもかかわらず……治療をしてくださった。
鍼治療はとっても効く 県総体は諦めた方が良いでしょうとの診断。
主治医も鍼灸師の方も 低周波治療もした方が良いと…… 小さな自宅用の治療器も購入。
安くはなかった。
なぜなら……… 県総体で先輩たちにリレーを勝ち上がってもらって……
インターハイ予選から次男が合流するという計画になった。
真新しいかっこいいユニフォームも届きこのユニフォームを着る日を夢みていた。
県総体のリレーはピンチヒッターで走ってるくださる方へこのユニフォームで託す事にした。
腹をくくって治療に専念。 県総体は全面サポートへまわった。
早朝3時に起きて、場所取りも。 走れないことのストレスも私へ容赦なく降りかかる。
仕方がない。 総体のリレーが始まり 祈るようにインハイ予選へ繋いでくださいと……
するとアンカーの足の動きがおかしかった。やってしまったようだ。
肉離れというのは、事故のようなもので 突然起こるらしいのです。
そして、調子がいい時に起こってしまうらしく……歯がゆい。
結局男子は次に進めず、ここで終わってしまった。もうみんな泣き崩れた。
今年の4継でのインターハイ出場はなくなった。
しかし
始まったばかり
これからも応援団長は応援し続けたいと思います。
ナースエイド I