病院と桜
2022年4月8日
私の記憶に間違いがなければ、私が中学に入学した時の記念樹、
ライオンズ公園の木市で買い求め植えられたもののはずです。
もう50歳近くの老木ですが6年前から満開になるたび父(自院初代院長)を想う大切な木となりました。
そのわけは6年前(2017年)ブログ〝仇桜〟に記しました。
病院の庭木、というよりも植物自体にあまり興味がない私が初めてこの桜の木を意識したのはかれこれ20年前のこと。当時院長であった父が、歓送迎会を兼ねた病院の花見バーベキューの宴をこともあろうに自院中庭で開催した春でした。総勢30人ほどの人数がバーベキューの火を囲みながら語らう、その騒音そして煙が何の遠慮・配慮もなく病棟はおろかご近所にも、、、世が世なら大問題、まあ時代がよかったのだと思います。
その中庭バーベキュー花見の宴、職員にはもっぱら評判よかったらしく、確か翌年も雨天にも拘らずブルーシートをテント代わりに敢行、おバカな歴史を重ねました。
その頃から毎春毎春、自院の桜の咲きっぷりを眺めるようになったと記憶しております。
その自院の桜、、ここ三年程どうも元気がない。満開になるかならぬかの時は既に葉桜、以前のような咲き誇る量感を感じられなくなってきました。腕利きの庭師さんにも相談し診てもらいもしましたが、やはり木の病気(こぶ病)とのことで対策は難しいようでした。
そもそも桜の寿命は5~60年、抜本的な解決策として植え替えも提案されました。
偶々今年還暦を迎える身の私、ちと思うところもあり植え替えはせず、この一代の桜と共に時を重ねようとの結論に至りました。
そんな心配もよそに今年の自院の桜、つい先月の中旬、ここ数年ではまずまずの力強さで満開に。
なんだかほっとした気分にさせられました。
日本人にとっての桜、国花であり春を象徴する花、年度末・年度初めの悲喜こもごもを包み込むように咲き誇り舞い散るその姿。今年の春も皆様それぞれのステージにて色々な思いで眺められた事と察します。
世の中ではウクライナの戦争の恐ろしい境遇と闘っている方々、またこの日本でも11年目を迎えて復興に向かう途上で尚も天災に向き合い続けなければならない東北の方々をはじめ、幾多の天災後と向き合っておられる方々、更に未だおさまらないコロナ感染拡大と戦っている方々、沢山のご苦労と向き合う方々が連日報道され心揺さぶられる毎日です。
そんな中、私が生まれた年に開業したこの柿木病院が、この春で60周年を迎えることがとても有難く、平穏な毎日がおとずれる事が如何に幸せであるかを痛感致しております。
6年前の桜咲く春に逝った父の遺した病院と桜。
これからも精進して守っていきたいと思います。
令和4年4月 開業60周年そして7回忌に寄せて
院長 K